この度、西日本各地で発生した災害により犠牲になられた方々に衷心よりお悔やみを申し上げますとともに、

被災された皆さまに対しまして謹んでお見舞いを申し上げます。

被災地域の一日も早い復旧を心より祈念申し上げます。

弊社も昭和の時代に、目の前の犀川、支流の太田川が氾濫し、浸水した経験を2度しております。
貯蔵蔵には、今もその当時ここまで浸水したという痕が残っております。
山口県の「獺祭」を醸す旭酒造さんが、被害に遭われたそうです。
約90万本の被害...想像を絶する本数です。
同業者として、また、水害に遭った経験のある酒蔵として、本当に心が痛みます。
蛇口を捻ると当たり前に飲める水が出て、当たり前にガスが使え、当たり前に電気が使える。
災害が起こるたび、改めて感じる。
当たり前なんかじゃなくて、奇跡的なことが連続しているのが毎日なのだと。
それと、昔の日本人は「風水」も重んじていましたが、先人たちの言い伝えというのも大事なことなのだなぁと。


今朝の速報の内容は、1日考えさせられるニュースでした。

オウム事件から20年近く経過していたのですね。
「死刑」が執行されると必ず議論されるのが、「死刑制度」。
なかなか難しい問題ですよね。死をもって償うべきなのか、生きて償うべきなのか。
真相は闇の中になってしまったようですが、日本人よるテロ事件として記憶にとどめておくべきですね。
昨日からの長雨で、日本列島各地で河川の氾濫、土砂崩れなど被害が大きいようです。
長野県も、中南信地域に避難指示が多くでていますが、ここ信州新町でも「信級」という地域で避難指示がでていたり、お隣の「中条」地区でも避難指示が継続中です。弊社近くの、犀川に流れ込む太田川という支流も増水し、徹夜で消防団が警戒にあたっていました。川よりも低い土地ですので、氾濫するとえらいことになります。
今は雨も止んでいますが、今夜はどうでしょうかねぇ。
来週には、雨もあがり猛暑日が続くようです。
ステッカー作りもなんとか間に合って、取扱酒販店さまへ旅だっております。
ぜひぜひ、弊社の『cumulonembo』をロックで、暑さを凌いでくださいませ〜!
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お買い求めは下記酒販店さんへGo〜♪
★宮城県 角田市 丸正酒店さま 
★栃木県 小山市 勇屋酒店さま
     小山市 松本酒店さま
★東京都 台東区 酒のサンワさま
     渋谷区 新川屋田島酒店さま
     練馬区 うえも酒店さま
      都内 はせがわ酒店さま(7/12日以降入荷予定)
★神奈川県 横浜市 一石屋酒店さま
★長野県 上水内郡信濃町 みねむら酒店さま
     松本市波田   深澤酒店さま
     上田市真田町  地酒屋 宮島さま
★静岡県 静岡市 コメヤス酒店さま
★大阪府 吹田市  山本酒店さま
     寝屋川市 奥広屋さま
★京都府 京都市 名酒館タキモトさま
★兵庫県 明石市 中友酒店さま
★大分県 豊後高田市 田染荘さま


本日AM11:00、関東甲信越が梅雨明けしました!





関東甲信地方が6月に梅雨明けするのは初めてのことなんですって。


確かに...雨が少なかったような気がしますね。

今年も梅雨明けとなりましたので、弊社の『夏』を感じてください!!



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梅雨明けが1週間ほど早かったので、ステッカー作成がまだ間に合っておりません...(汗)


急いで、作成せねば!!





修養の『修』は、修身すなわち身を修めること。身を修めるとは欲望や散漫な心を抑え、自分に勝つこと。
修養の『養』は、養う意味で、心を豊かにしていくことである。
『修養』は、やってもやらなくても、普通はあまりわからない。その人の価値は、ちょっと見ではわからない。

いざという時を見なければわからない。

かつての日本は共同体で物事にあたっていたわけですが、いまは消滅しつつあり、代わりに出てきたのが市場です。
その行き着く先がグローバル市場で、そこに必要なものは市場の論理、マネーの論理。
人間学は求められていません。
でも、人材が育つためにはどうしても共同体精神、人間学に基づく公の精神が必要なのではないでしょうか。
市場は所詮プライベートな場にすぎません。
難しい試験に通って高級官僚になったとしても、彼らに修養があるというわけではありません。
教養は試験で計れるけれども修養は計れない。
修養は学んだことを心で受け止めて、自分をより高めようと思い続ける努力が求められます。

人生の半分!?を生きて来て、尾澤家に嫁ぎ、様々な方々と接点を持つようになり関わるようになった26年の間に学んだことは、

教養も大事、大切ではあるけれど、修養は本当に「いざ」という時に役立つものだと。

仕事をしていくうえで、さらには生きて行くうえで、時には「俯瞰」をして、全体を見直してみるということ、とても大切なのではないでしょうか。


尾澤家に嫁いできて26年。3回目の普請が始まりました。

3回目の普請は、コンビニエンスの増改築工事。
ここから約20年続けなければならないので、正直、義父も義母も亡くし自分も年齢を重ね、コンビニ事業をやめるつもりでした。
信州新町は加速度をつけながら、長野市内の中でも急速に人口が減り続けている町です。
夜7:30を過ぎれば、スーパーもホームセンターも閉まります。
そんな町の中心でコンビニエンスを営業していると、一人暮らしのお年寄り、旧市内の高校へ通学する子供と待ち合わせしている親子、病院でこれから勤務される看護士さん、仕事を終えた主婦にお父さん、様々な方々に利用していただいております。
「無くなったら困るだろうか?」そんな疑問を常連のお客様に聞いてみると、「本当に困る」「どうすればいいんだ?」と切実に訴えられます。
今この町に必要とされるお店を、自分達の都合だけで本当にやめても良いのだろうかと考えるようになりました。
このコンビニは亡き父が、この町に必要だとかなり苦労して契約にこぎつけたお店です。
だとしたら、あと15年だけ頑張ってみるかと、夫婦で決断しました。
義母を亡くしてから、前を向くことが出来なくなり、読もうと思って購入してあった本を読んだり、愛犬と散歩をしたり、ちょっと仕事から距離を置いて過ごしていました。
誰かのために尽くすこと自体が自分の幸せだと感じることがやっぱり自分の生き方なのかぁと再認識するようになりました。
尾澤家は代々、水内村と呼ばれていた頃は水内村のために水内村と篠ノ井地区に橋を架けたり、羊や牛などの家畜を飼い収入を増やせるように資金援助をしたり、町民が無料で使用できるミニ美術館に土蔵を改装したりと、この町のために奔走してきました。
三度目の普請は、地盤改良が必要でかなり多額の投資となってしまいましたが、酒造りを復活させた時の負債は3億。
それよりはかなり少ないものの、借金というものに十数年追われてこなかったので少々不安なことは事実です。
ですが、あのときは私も若かったので、勢いだけで返済できたのかもしれませんが、がんばったからこそ「今」があります。
私たち夫婦がこうしてここ信州新町でお酒造りを復活でき、ご愛顧頂いている信州新町の皆さんに恩返しができるよう、ご先祖たちに恥じぬよう、がんばろうと思います。
『迷ったら前へ。
 苦しかったら前に。
 つらかったら前に。
 後悔するのはそのあと、そのずっと後でいい』
星野仙一さんの言葉です。
とにかく前を向いて生きて行こうと思います。


早いもので、今週15日(金)は義母の満中陰を迎えます。

数日早かったのですが、10日の日曜日に法要と納骨を無事終えました。
宗派によって若干違いはありますが、生き物の死の瞬間から次の世に生を受けるまでの期間 (中陰) は 49日であるといわれております。この49日の間に、極楽浄土に行けるかどうかの「お裁き」が行われるといわれています。
この「お裁き」は一度ではなく、7日ごとに7回あります。

そのため遺族は7日ごとのお裁きの日に法要を営み、故人が極楽浄土に行けるように祈ります。

祈ることで故人の善行を足していくという意味で、「追善法要」ともいわれています。

四十九日は7回目のお裁きの日で、極楽浄土に旅立てるかどうかの最終決断が下されるため、追善法要の中でもっとも重要な日とされています。

できるだけ毎日毎日新しいお膳を供え、祈りましたが、果たして義母は無事に修行を終え、審判が下され、無事義父が待つ極楽浄土へ旅立つことができたたでしょうか?
当日は、雨予報でしたが、義父が何とかお天気を持たせてくれたようで、納骨も無事終えることができました。
納骨準備をしていてわかったのですが、義父も含めご先祖の遺骨が何十年の歳月で湿気の多いカロート内で結露した水が骨壺にたまってしまっていたのです。カロートも、骨壺がいっぱいになってしまい、私たちが入る場所もなく、そのまま水が貯まってしまった骨壺を納めたままにもできませんし、ちょうど今月から、大きな投資が必要となるコンビニエンスの改築工事もあるので、今まで以上にご先祖さまにお見守りいただかなければなりませんので、粉骨していただき小さな骨壺に納めて再納骨する供養を行うことにしました。
まだまだ、仕事に復帰するまでは時間がかかりそうですが、ご先祖さまを大切にすることは後回しにできませんから、しっかり供養していこうと思います。


今日辺り、梅雨入りでしょうか??

梅雨といえば...『Le chat botté』。

ル シャ ボテ と読みます。フランス語で、長靴をはいた猫です。

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一度は読んだことがありますよね?『長靴をはいた猫』の物語。
グリム童話のものもありますが、読んでおもしろいのは、フランスの詩人シャルル・ペローによる大人の童話。
作者ペローの教訓が末尾に書かれていましてね。

教訓
父から子へと受け継がれる
ゆたかな遺産をあてにすることも
大きな利益にちがいないが
一般に、若い人たちにとっては
知恵があったり世渡り上手であったりする方が
もらった財産よりずっと値打ちのあるものです。


もう一つの教訓

粉ひきの息子が、こんなに早く
お姫さまの心をつかんでしまって、
ほれぼれとした目で見られるようになったのは
服装や、顔立ちや、それに若さが
愛情を目覚めさせたからであって、
こういったものも、なかなか馬鹿にはならないものなのです。



ご主人様と猫の関係は、一見猫が家来のようにみえますが、No.1とNo.2の関係であって、この関係が逆転することはないものの、猫はNo.1にはならずにNo.2の地位にとどまることで、地位を保ちながらも、ご主人さまからは永遠に感謝しつづけさせることに成功するわけですよ。 No.2は知財に富んだ参謀であり、No.1にかわって汚れ役を演じるこれこそまさにNo.2の鑑という大人の物語なのではないでしょうか(笑)。

だから??まぁ〜そういうことですよ(笑)。


そろそろ梅雨に入るのでしょうか?雨がシトシト降っています。

昨日は、午前中会社を抜け出し、恩師が眠るお寺へお墓参りに行ってきました。
そこのお寺は保育園が併設されていて、運動場で園児達が元気よく体操をしている横を通ってお寺へ入ります。
いろんな話しをしてきました。愚痴もです。これからのことも。
当たり前ですが、私の問いかけには何も答えては下さらないわけで、自分で決めなさいということなのでしょうか。
「夫婦は対、お互いの杖に」、恩師から言われた夫婦像。

夫と妻、って別々の独立した人間ですが、チームだと思うんです。

何をやるにも、そうです。

家族が幸せになるには?より快適に暮らすには?を考えれば、誰が家事をやろうが、仕事をしようが、できるだけ平等になるようになっていて。

仕事も同様で、お互い得意とする分野を行うようにして、何かを決める時は一緒に考えて決めたり。

なるべく一緒に、平等に、1つのチームのようなものとして、家事も仕事も取り組むっていう。

うまく表現できないけれど、家事も、夫婦2人での家事のアウトプットが、その家庭内での家事力だし、

逆に仕事も、夫婦2人のアウトプットが、世の中のためになったり社会のためになったりして、その対価としてお金をもらい生活するっていうスタンスで。

共存する時間をわかちあう、といいますか...

夫婦はチームだという意識が足りないと不平不満が募ってくるような。

家事分担も、仕事分担も、「私ばかり」「俺だって」という概念に陥ってくるような。

それってすごく悲しいことだと思うんです。

もちろん別の人間だし価値観も違うのですべてを同じように捉える必要はないと思いますが、もう少し、夫婦はチームだという意識があれば、家庭内の家事も、それから仕事だって、切磋琢磨しあって、お互いに応援できる関係になっていくんじゃないかなぁと思います。

特殊な家庭環境の下で育った社長ですから、「家庭」とか「愛情」とか「団欒」とか「労る」とかそういうことが、どういう言葉や行動のことを受けた相手がとってもらえるのかがまったく分からないわけでして...
ほんのちょっとでもいいので、一緒に前を向いて人生を歩んで欲しいなと。
私の杖が折れそうです。


各方面からいろいろとご心配や励ましを頂いております(泣)。

今日は、社員のH君から、「最近、お義母さん亡くなってから仕事が雑だよ!」と言われてしまいました(汗)。
う〜む。確かに雑かもしれません。雑というより投げ遣りです。
大きな酒蔵ではないのですが、江戸文政から続いてきている田舎の旧家である尾澤家ですので、まぁいろいろと考えさせられることが多々ありましてねぇ。
亡くなった義父からよく、「人の死で集まった身内も親戚も含めその人の在り方がみられるので、よ〜く観察して本当にその人がお前に必要なのかどうか見極めるように」と言われていたのですが、確かにその人の本質といいますか人としての在り方がよくわかります。なんだか、そんなことが毎日毎日なにかしらあると、疲れ果てるといいますか嫌になるといいますか、もうそれ以上その人が崩れていく姿を見たくないといいますか、なんといいますか...
亡き父も、祖母に父に母にと、3度こうした同じ場面に遭遇し同じように心を傷めそれでも前を向いて生きていたんだなぁと思う毎日です。
あ〜してあげれば良かった、こーしてあげれば良かったと後悔することは多々多々ありますが、過去には戻ることはできないわけで。
そういうものを背負いながら生きていくのが人間の宿命なのかもしれませんね。
最近は、そんな様々な思いを心の奥深くにしまいこむかのように、日本酒を飲むことが多くなりました。
そういえば、数年前に、九州の方からお手紙を頂いたことを思い出しました。
亡くなったご主人が、十九SRSが好きで、好きな日本酒に出会えたこと、亡くなった後も、お仏壇に供えてくださって、少ない人数でお酒を醸されていると聞き、これからもこんな素敵な出会いのためにがんばってください、ありがとうございましたと書かれていました。
日本人だからこそ、喜怒哀楽を鎮めてくれる、日本酒と共に歩んできたのかもしれませんね。


今日は、来月に執り行われる七七日法要後の納骨式の準備をしに尾澤家のお墓へ行きました。

尾澤家のお墓がある高雲寺さんは、六文銭 松代藩を治めていた真田家とゆかりのあるお寺です。
墓地がある場所は、何度も土砂崩れに遭ってきたところで、土砂が崩れてお骨が分からなくならないようにと火葬になって以降、先祖代々の遺骨は骨壷で納められています。
お墓の下が空洞になっていて、そこがカロートとよばれる納骨室になっているのですが、入口は約40cmほど深さは150cmほどでしょうか。入口が狭いので、亡き父を納骨する前までは、親戚の子供に入ってもらい納骨していたようなのですが、親戚縁者の子供も大きくなり、亡き父からは、私が納骨するようになりました。当主である社長がと思われる方も多いと思いますが(汗)、186cmの大きな体の社長は入口すら入れず(泣)、家族の中で肩幅が40cmくらいで宙づりでも腕力がある人となると私しか入れないわけでしてねぇ(汗)。
しかも今回は、カロートの中の棚がお骨でいっぱいで納められないので、ピンコロと御影石板で新たに棚を設置してそこにご先祖を二柱移動して、父の隣に母を納めることにしました。
ピンコロはともかく、さすがに御影石板一枚を入れるのは至難の業でしたので、社員Y君にお願いして手伝ってもらいました。
まずはピンコロを両脇に二個ずつ設置し、紐で石板を吊るして中に入れたまま、私が入り中に落ちないないように社長に足を押さえてもらい、徐々に石板をピンコロの位置まで下ろしてもらいながら乗せる作戦。
なんとか作戦も成功し、次はご先祖のお骨の移動。
おそらく骨壷の中が結露した水でいっぱいでものすごく重く、宙に浮いている状態なので足で踏ん張りがきかず、持った骨壷を落とすわけにもいきませんから、一人暗いカロート内で「おりゃぁ〜!」と叫びながら、なんとか移すことができました。
父の時も今日もそうですが、自分が死んだ後、ここに入るのかぁ〜と思うと、真っ暗で土に囲まれた場所ならば、海や宇宙に散骨してもらった方が嬉しいかな!?と思いました。
こういうことも嫁さんがやるのが尾澤家です(笑)


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