ようやく熱もでることもなく復帰できそうです。
ご心配をおかけいたしました。

とblogをupしたものの朝方からまた微熱が出始め
大事をとってもう1日自宅にて療養することにしました・・・

で、タイトルの『クルテクくん』
ものつくりの楽しさ大変さ出来上がったときの嬉しさ、
協力してくれる仲間や感謝etc...
私が一番最初に『ものづくり』を教えてもらった師匠です。

もぐらとずぼん

 『もぐらとずぼん』

どうしてもほしい青いずぼん。
青くて大きなポケットのついた青いずぼん。
もぐらくんは色んな虫や動物の協力でついにはずぼんを作ってしまいます。

あまを育てるところからはじまって糸を紡いで、染めて、織って、まずは立派な
青い布を作ります。
布を作るだけでも、かえる、はりねずみ、くも、あり、大勢の動物たちが大活躍、
その様子が楽しいのです。

できた布はえびがにが裁断し、よしきりがくちばしで縫ってくれます。
ついに素敵なオーバーオールのできあがりです。

大勢を巻き込んで・・・なんとしても欲しいずぼん手に入れちゃうそのあたり・・・
なかなかの行動力です。
オーバーオールを着て嬉しそうに鏡を覗き込む姿は本当にかわいいですよ。

もぐらとずぼん 左側にいるモグラがクルテク師匠です(笑)
この絵本が好きで好きで同じオーバーオール
を母親にねだって買ってもらい、たくさんのポケット
に自分なりのおもちゃの道具!?を入れて満足して
いたようです・・・
母親曰く、「女の子なのに・・・」と少々将来を不安視
していたようですが。
その不安が当たったようですね!さすが母親です


図未就之功、不如保已成之業。
悔既往之失、不如防将来之非。

未だ就(な)らざるの功を図るは、已(すで)に成るの業を保つに如かず。
既往(きおう)の失(しつ)を悔(く)ゆるは、将来の非を防ぐに如かず。

まだ結果が出ていない仕事を考えることは、現業を継続することには及ばない。
また、既に明らかになった損害を後悔するのは、未来の損失を予防することに及ばない。
つまり、事業は現業を重視し、未来のリスクを予防することが、過去の失敗に囚わり、
計画中の事業に現をぬかすより重要だということ。

                                            (菜根譚より)

過去の失敗についてくよくよ悩むよりは、今を重視し同じ失敗を繰り返さないためには
どうしたらよいのかに心を配りながら前に進むことが肝要ということですね。
「今」を生きられない人には、「未来」を見ることができず、「過去」ばかりに生きてしまう
のでしょうね・・・



語云、登山耐側路、踏雪耐危橋。
一耐字極有意味。
如傾険之人情、坎坷之世道、若不得一耐字撑持過去、幾何不堕入榛莾坑塹哉。

語(ご)に云(い)う、「山に登りては脇路(そくろ)に耐(た)え、雪を踏んでは危橋(ききょう)に耐(た)う」。
一(いつ)の耐(たい)の字(じ)、極めて意味有り。
傾険(けいけん)の人情(にんじょう)、坎坷(かんか)の世道(せどう)の如(ごと)きも、若(も)し一(いつ)の耐(たい)の字(じ)を得(え)て、撑持(とうじ)し過ぎ去らずば、幾何(いくばく)か榛莾坑塹(しんぼうこうざん)に堕入(だにゅう)せざらんや。

古(いにしえ)の言葉に「山に登る時は、険しい斜面に耐え、雪道では雪が積もっている危険な橋(当時は欄干が無く滑ると川に落ちた)に耐えて歩きなさい」と。

耐えるという事は大変大きな意味がある。
偏見に満ちた人情や不遇な境遇でも、もし「耐(える)」という一字を継続できければ、どれだけ多くの者が、藪や穴や堀に落ちないですみことか。
つまり、何は無くても「忍耐」ということ。

                                            (菜根譚より)


大切なのは、「耐える」力を身につけ、辛抱強く行きていくことということでしょうか。
辛抱強く・・・ですか。


某国営放送の某番組に
東京大学先端科学技術研究センター教授の福島智先生が出演されていました。
専門は「傷害学」。
福島教授は、全盲ろう、失聴者とうハンディをもっていらっしゃいます。
コミニュケーションの取り方は「指点字」。
指先を点字タイプライターのキーに見立てて打つ指点字は母親と考案したそうです。

福島先生が出会って感動したという本です。


 

ヴィクトール・エミール・フランクル。
オーストリアの精神科医、心理学者。
第二次世界大戦中、ユダヤ人であるがために
ナチスにより強制収容所に送られた体験をもつ。

この本の中で彼はある公式を書いています。

絶望=苦悩-意味

この公式を数学のように「-意味」移行してみると

絶望+意味=苦悩

つまり意味がない苦悩が絶望で
どんな苦悩でも何か意味があるのではないか
そこになにか意味を見いだせれば新しい豊かな人生が
みつかるのではと。

「絶望と苦悩はまったく異なるものだ」とアウシュビッツの経験から
彼は言っています。

いま、生きるのに色々と、しんどいこともある。
でも、そこに意味が見いだせるならば、絶望ではないということなのでしょう。


「菜根譚」は中国の古典の一。洪自誠の随筆集で、別名「処世修養篇」。
 
「人よく菜根を咬みえば、すなわち百事なすべし」

(堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、
人は多くのことを成し遂げることができる)という言葉に由来しています。


「恩裡には、由来害を生ず。故に快意の時は、須らく早く頭を回らすべし。
敗後には、或いは反りて功を成す。故に払心の処は、便くは手を放つこと莫れ。」

(失敗や逆境は順境のときにこそ芽生え始める。物事がうまくいっているときこそ、
先々の災難や失敗に注意することだ。成功、勝利は逆境から始まるものだ。
物事が思い通りにいかないときも決して自分から投げやりになってはならない。)


昔も今も人生訓は一緒のようです・・・


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