修養の『修』は、修身すなわち身を修めること。身を修めるとは欲望や散漫な心を抑え、自分に勝つこと。
修養の『養』は、養う意味で、心を豊かにしていくことである。
『修養』は、やってもやらなくても、普通はあまりわからない。その人の価値は、ちょっと見ではわからない。

いざという時を見なければわからない。

かつての日本は共同体で物事にあたっていたわけですが、いまは消滅しつつあり、代わりに出てきたのが市場です。
その行き着く先がグローバル市場で、そこに必要なものは市場の論理、マネーの論理。
人間学は求められていません。
でも、人材が育つためにはどうしても共同体精神、人間学に基づく公の精神が必要なのではないでしょうか。
市場は所詮プライベートな場にすぎません。
難しい試験に通って高級官僚になったとしても、彼らに修養があるというわけではありません。
教養は試験で計れるけれども修養は計れない。
修養は学んだことを心で受け止めて、自分をより高めようと思い続ける努力が求められます。

人生の半分!?を生きて来て、尾澤家に嫁ぎ、様々な方々と接点を持つようになり関わるようになった26年の間に学んだことは、

教養も大事、大切ではあるけれど、修養は本当に「いざ」という時に役立つものだと。

仕事をしていくうえで、さらには生きて行くうえで、時には「俯瞰」をして、全体を見直してみるということ、とても大切なのではないでしょうか。


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