師走の月になると、気持ちも足取りもちょっと急ぐようになるのはどういうのでしょうかねぇ。



昨夕、弊社コンビニ前の横断歩道でない国道を、お向かいのスーパーでお買い物を終えた高齢者が渡っていて車にはねられてしまい亡くなるという悲しい事故がありました。


ちょうど、コンビニで仕事をしていて、「ドン!」という鈍い音が聞こえたので、また駐車場で車が接触したのかと思っていると、バイトの子が「人がはねられたみたいです」というので、慌てて外へ出ると、そこには事故に遭われた高齢者に心肺蘇生している姿が飛び込んできました。弊社社長も、そばにいて誰かに電話している様子。

駆け寄ると「○○ちゃんのお母さんなんだ!」、心臓マッサージしている顔見知りが「AEDありますか?」と聞いていたり、すぐに緊迫した状況がわかりました。

弊社の取引先の社長さんにお母様で、この春亡くなった義母とも親しくさせて頂いていて、うちの自宅のそばに住んでいらっしゃるので愛犬を散歩している時に毎回お買い物帰りで会って一緒に歩き、コンビニにもよく買い物に来てくれていたおばちゃんでした。

社長が、携帯で連絡していたのは取引先の社長さんで、携帯電話を私に預け、AEDを探しに行きました。
救急車が到着し、車の中で心肺蘇生が始まり、その時はまだ受け入れ病院も決まってなくて、取引先の社長さんには病院が決まったら携帯に連絡いれるからすぐ出られるようにしておいてと伝え、自宅にいるであろうおばちゃんのご主人を近所の方にお願いして連れて来てもらい、受け入れ先の病院が決まり、おじちゃんをのせて救急車は病院へ向かいました。
居合わせて救護した近所の方々も皆、なんとか助かって欲しいという気持ちで見送ったのですが...


その後、警察の方々も大勢来て、コンビニエンスの防犯カメラを立ち会いのもと一緒に確認しましたが、そこには鮮明にその時の様子が録画されていて...。

直接的には関係ないのですが、コンビニエンスの横の脇道を軽トラックが国道へ出ようと前に出て、事故車がそれに気づきちょっとセンターラインに寄ったところで起きていました。

事故を起こした方はすぐに救護にあたっていましたが、その軽トラックは右折して行ってしまっていて。

事故には関係していませんが、それでも目の前で人がはねられたのは見ていたはずで、そのまま行ってしまった行為に、個人的にとても切なく悲しい気持ちになりました。

用事があったのかもしれませんし、急いで帰宅しなければならなっかたかもしれませんし、他人だから自分は関係ないと思っていたかもしれません。


弊社コンビニエンス前の国道は、よく事故が起こります。

今年も、バイクが弊社駐車場に入ろうとした車とぶつかり飛ばされた事故がありましたが、命は助かりました。

先日は、もっと先の国道上で車と車の事故で、死傷者がでて、現場には事故をみた方は連絡くださいという看板が設置されています。


人は生まれて死に向かって生きています。

仏教には「四苦」という言葉があって、「生・老・病・死」の4つのことなんだそうです。

人間は生まれた以上、必ず老い、病気になり、最後には死んでいく、という避けられないプロセス...

「一切皆苦」は、「この世の営みはすべて(思い通りにならない)苦しみである」という意味。

それは、若さや健康、生命に対して執着をするから「苦しみ」になるのであって、執着しなければ本来人生は、もっと純粋で素朴な生の営みなのだそうです。


そして、「諸行無常」とは、「作られたものはすべて移り変わり、一瞬として同じ状態にとどまってはいない」という自然の道理、真理を説いたもの。生あるものは、いつか必ず滅びる。死と向き合うことが生を充実させる生き方につながっている。だから、今という瞬間を無駄にはできないわけで。生と死のような相互依存の関係を「縁起」と言うのだそうです。

この世のすべては、「縁」によって起きていて、両親も、そのまた両親も、先祖も、口にする食事も、友人、洋服などもすべてが無限の恵みに支えられて、生きていて、この在り方が「縁起」なんだそうです。


「生かされ、生かして、生きる」。



自分の人生が終わるとき「この世に生を受けて本当に良かった」「与えられた人生を生き切った」と思えるよう、人生をまっとうしたいものです。


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