尾澤家に嫁いできて26年。3回目の普請が始まりました。

3回目の普請は、コンビニエンスの増改築工事。
ここから約20年続けなければならないので、正直、義父も義母も亡くし自分も年齢を重ね、コンビニ事業をやめるつもりでした。
信州新町は加速度をつけながら、長野市内の中でも急速に人口が減り続けている町です。
夜7:30を過ぎれば、スーパーもホームセンターも閉まります。
そんな町の中心でコンビニエンスを営業していると、一人暮らしのお年寄り、旧市内の高校へ通学する子供と待ち合わせしている親子、病院でこれから勤務される看護士さん、仕事を終えた主婦にお父さん、様々な方々に利用していただいております。
「無くなったら困るだろうか?」そんな疑問を常連のお客様に聞いてみると、「本当に困る」「どうすればいいんだ?」と切実に訴えられます。
今この町に必要とされるお店を、自分達の都合だけで本当にやめても良いのだろうかと考えるようになりました。
このコンビニは亡き父が、この町に必要だとかなり苦労して契約にこぎつけたお店です。
だとしたら、あと15年だけ頑張ってみるかと、夫婦で決断しました。
義母を亡くしてから、前を向くことが出来なくなり、読もうと思って購入してあった本を読んだり、愛犬と散歩をしたり、ちょっと仕事から距離を置いて過ごしていました。
誰かのために尽くすこと自体が自分の幸せだと感じることがやっぱり自分の生き方なのかぁと再認識するようになりました。
尾澤家は代々、水内村と呼ばれていた頃は水内村のために水内村と篠ノ井地区に橋を架けたり、羊や牛などの家畜を飼い収入を増やせるように資金援助をしたり、町民が無料で使用できるミニ美術館に土蔵を改装したりと、この町のために奔走してきました。
三度目の普請は、地盤改良が必要でかなり多額の投資となってしまいましたが、酒造りを復活させた時の負債は3億。
それよりはかなり少ないものの、借金というものに十数年追われてこなかったので少々不安なことは事実です。
ですが、あのときは私も若かったので、勢いだけで返済できたのかもしれませんが、がんばったからこそ「今」があります。
私たち夫婦がこうしてここ信州新町でお酒造りを復活でき、ご愛顧頂いている信州新町の皆さんに恩返しができるよう、ご先祖たちに恥じぬよう、がんばろうと思います。
『迷ったら前へ。
 苦しかったら前に。
 つらかったら前に。
 後悔するのはそのあと、そのずっと後でいい』
星野仙一さんの言葉です。
とにかく前を向いて生きて行こうと思います。


早いもので、今週15日(金)は義母の満中陰を迎えます。

数日早かったのですが、10日の日曜日に法要と納骨を無事終えました。
宗派によって若干違いはありますが、生き物の死の瞬間から次の世に生を受けるまでの期間 (中陰) は 49日であるといわれております。この49日の間に、極楽浄土に行けるかどうかの「お裁き」が行われるといわれています。
この「お裁き」は一度ではなく、7日ごとに7回あります。

そのため遺族は7日ごとのお裁きの日に法要を営み、故人が極楽浄土に行けるように祈ります。

祈ることで故人の善行を足していくという意味で、「追善法要」ともいわれています。

四十九日は7回目のお裁きの日で、極楽浄土に旅立てるかどうかの最終決断が下されるため、追善法要の中でもっとも重要な日とされています。

できるだけ毎日毎日新しいお膳を供え、祈りましたが、果たして義母は無事に修行を終え、審判が下され、無事義父が待つ極楽浄土へ旅立つことができたたでしょうか?
当日は、雨予報でしたが、義父が何とかお天気を持たせてくれたようで、納骨も無事終えることができました。
納骨準備をしていてわかったのですが、義父も含めご先祖の遺骨が何十年の歳月で湿気の多いカロート内で結露した水が骨壺にたまってしまっていたのです。カロートも、骨壺がいっぱいになってしまい、私たちが入る場所もなく、そのまま水が貯まってしまった骨壺を納めたままにもできませんし、ちょうど今月から、大きな投資が必要となるコンビニエンスの改築工事もあるので、今まで以上にご先祖さまにお見守りいただかなければなりませんので、粉骨していただき小さな骨壺に納めて再納骨する供養を行うことにしました。
まだまだ、仕事に復帰するまでは時間がかかりそうですが、ご先祖さまを大切にすることは後回しにできませんから、しっかり供養していこうと思います。


今日辺り、梅雨入りでしょうか??

梅雨といえば...『Le chat botté』。

ル シャ ボテ と読みます。フランス語で、長靴をはいた猫です。

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一度は読んだことがありますよね?『長靴をはいた猫』の物語。
グリム童話のものもありますが、読んでおもしろいのは、フランスの詩人シャルル・ペローによる大人の童話。
作者ペローの教訓が末尾に書かれていましてね。

教訓
父から子へと受け継がれる
ゆたかな遺産をあてにすることも
大きな利益にちがいないが
一般に、若い人たちにとっては
知恵があったり世渡り上手であったりする方が
もらった財産よりずっと値打ちのあるものです。


もう一つの教訓

粉ひきの息子が、こんなに早く
お姫さまの心をつかんでしまって、
ほれぼれとした目で見られるようになったのは
服装や、顔立ちや、それに若さが
愛情を目覚めさせたからであって、
こういったものも、なかなか馬鹿にはならないものなのです。



ご主人様と猫の関係は、一見猫が家来のようにみえますが、No.1とNo.2の関係であって、この関係が逆転することはないものの、猫はNo.1にはならずにNo.2の地位にとどまることで、地位を保ちながらも、ご主人さまからは永遠に感謝しつづけさせることに成功するわけですよ。 No.2は知財に富んだ参謀であり、No.1にかわって汚れ役を演じるこれこそまさにNo.2の鑑という大人の物語なのではないでしょうか(笑)。

だから??まぁ〜そういうことですよ(笑)。


そろそろ梅雨に入るのでしょうか?雨がシトシト降っています。

昨日は、午前中会社を抜け出し、恩師が眠るお寺へお墓参りに行ってきました。
そこのお寺は保育園が併設されていて、運動場で園児達が元気よく体操をしている横を通ってお寺へ入ります。
いろんな話しをしてきました。愚痴もです。これからのことも。
当たり前ですが、私の問いかけには何も答えては下さらないわけで、自分で決めなさいということなのでしょうか。
「夫婦は対、お互いの杖に」、恩師から言われた夫婦像。

夫と妻、って別々の独立した人間ですが、チームだと思うんです。

何をやるにも、そうです。

家族が幸せになるには?より快適に暮らすには?を考えれば、誰が家事をやろうが、仕事をしようが、できるだけ平等になるようになっていて。

仕事も同様で、お互い得意とする分野を行うようにして、何かを決める時は一緒に考えて決めたり。

なるべく一緒に、平等に、1つのチームのようなものとして、家事も仕事も取り組むっていう。

うまく表現できないけれど、家事も、夫婦2人での家事のアウトプットが、その家庭内での家事力だし、

逆に仕事も、夫婦2人のアウトプットが、世の中のためになったり社会のためになったりして、その対価としてお金をもらい生活するっていうスタンスで。

共存する時間をわかちあう、といいますか...

夫婦はチームだという意識が足りないと不平不満が募ってくるような。

家事分担も、仕事分担も、「私ばかり」「俺だって」という概念に陥ってくるような。

それってすごく悲しいことだと思うんです。

もちろん別の人間だし価値観も違うのですべてを同じように捉える必要はないと思いますが、もう少し、夫婦はチームだという意識があれば、家庭内の家事も、それから仕事だって、切磋琢磨しあって、お互いに応援できる関係になっていくんじゃないかなぁと思います。

特殊な家庭環境の下で育った社長ですから、「家庭」とか「愛情」とか「団欒」とか「労る」とかそういうことが、どういう言葉や行動のことを受けた相手がとってもらえるのかがまったく分からないわけでして...
ほんのちょっとでもいいので、一緒に前を向いて人生を歩んで欲しいなと。
私の杖が折れそうです。


各方面からいろいろとご心配や励ましを頂いております(泣)。

今日は、社員のH君から、「最近、お義母さん亡くなってから仕事が雑だよ!」と言われてしまいました(汗)。
う〜む。確かに雑かもしれません。雑というより投げ遣りです。
大きな酒蔵ではないのですが、江戸文政から続いてきている田舎の旧家である尾澤家ですので、まぁいろいろと考えさせられることが多々ありましてねぇ。
亡くなった義父からよく、「人の死で集まった身内も親戚も含めその人の在り方がみられるので、よ〜く観察して本当にその人がお前に必要なのかどうか見極めるように」と言われていたのですが、確かにその人の本質といいますか人としての在り方がよくわかります。なんだか、そんなことが毎日毎日なにかしらあると、疲れ果てるといいますか嫌になるといいますか、もうそれ以上その人が崩れていく姿を見たくないといいますか、なんといいますか...
亡き父も、祖母に父に母にと、3度こうした同じ場面に遭遇し同じように心を傷めそれでも前を向いて生きていたんだなぁと思う毎日です。
あ〜してあげれば良かった、こーしてあげれば良かったと後悔することは多々多々ありますが、過去には戻ることはできないわけで。
そういうものを背負いながら生きていくのが人間の宿命なのかもしれませんね。
最近は、そんな様々な思いを心の奥深くにしまいこむかのように、日本酒を飲むことが多くなりました。
そういえば、数年前に、九州の方からお手紙を頂いたことを思い出しました。
亡くなったご主人が、十九SRSが好きで、好きな日本酒に出会えたこと、亡くなった後も、お仏壇に供えてくださって、少ない人数でお酒を醸されていると聞き、これからもこんな素敵な出会いのためにがんばってください、ありがとうございましたと書かれていました。
日本人だからこそ、喜怒哀楽を鎮めてくれる、日本酒と共に歩んできたのかもしれませんね。


今日は、来月に執り行われる七七日法要後の納骨式の準備をしに尾澤家のお墓へ行きました。

尾澤家のお墓がある高雲寺さんは、六文銭 松代藩を治めていた真田家とゆかりのあるお寺です。
墓地がある場所は、何度も土砂崩れに遭ってきたところで、土砂が崩れてお骨が分からなくならないようにと火葬になって以降、先祖代々の遺骨は骨壷で納められています。
お墓の下が空洞になっていて、そこがカロートとよばれる納骨室になっているのですが、入口は約40cmほど深さは150cmほどでしょうか。入口が狭いので、亡き父を納骨する前までは、親戚の子供に入ってもらい納骨していたようなのですが、親戚縁者の子供も大きくなり、亡き父からは、私が納骨するようになりました。当主である社長がと思われる方も多いと思いますが(汗)、186cmの大きな体の社長は入口すら入れず(泣)、家族の中で肩幅が40cmくらいで宙づりでも腕力がある人となると私しか入れないわけでしてねぇ(汗)。
しかも今回は、カロートの中の棚がお骨でいっぱいで納められないので、ピンコロと御影石板で新たに棚を設置してそこにご先祖を二柱移動して、父の隣に母を納めることにしました。
ピンコロはともかく、さすがに御影石板一枚を入れるのは至難の業でしたので、社員Y君にお願いして手伝ってもらいました。
まずはピンコロを両脇に二個ずつ設置し、紐で石板を吊るして中に入れたまま、私が入り中に落ちないないように社長に足を押さえてもらい、徐々に石板をピンコロの位置まで下ろしてもらいながら乗せる作戦。
なんとか作戦も成功し、次はご先祖のお骨の移動。
おそらく骨壷の中が結露した水でいっぱいでものすごく重く、宙に浮いている状態なので足で踏ん張りがきかず、持った骨壷を落とすわけにもいきませんから、一人暗いカロート内で「おりゃぁ〜!」と叫びながら、なんとか移すことができました。
父の時も今日もそうですが、自分が死んだ後、ここに入るのかぁ〜と思うと、真っ暗で土に囲まれた場所ならば、海や宇宙に散骨してもらった方が嬉しいかな!?と思いました。
こういうことも嫁さんがやるのが尾澤家です(笑)


星座シリーズに引き続き、こちらも久しぶりに醸してみました。
『Diciannove 19』
長野県内ではどこも使用していないであろう幻の『長野B酵母』で醸しております。
開発した長野県食品バイオ部にももう廃棄されて持っていないんじゃないのでしょうかねぇ(汗)
弊社では、この長野B酵母にしか出せない酸&香りが面白いので大切に植え継ぎながら使っております。
白ワインではないのですが、白ワインのような風味!?が特徴の日本酒となっております。
ご興味ある方はお試しくださいませ。


母が亡くなったり、地震が起こったり、人間がいくら頑張っても天地自然の万法に勝てないことを思い知らされます。

幼い頃、大好きだった祖父が亡くなり嘆き悲しんでいたら、「人は亡くなるととお星さまになって、空からみんなを見守っているんだよ」と言われたことを思い出します。
48年も生きてくると、友が亡くなったり、大切な家族がなくなったりする度に、夜空を見上げることが多くなった気がします。

夜空を見上げて、「同じように今空を眺めている人がいるのかな〜」なんて考えるのも素敵ですね。
孤独感や虚無感で力を失ってしまったとき、夜空を見上げることでそういう想いが何かしらのものを授けてくれます。


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夜空に輝く星座シリーズとして『19 polaris』発売致します。

蔵からでて見上げると、真上に7つの星でつくる柄杓の形が目に留まります。『北斗七星』です。
北斗七星とは星座ではありません。北斗七星は「おおぐま座」の一部で、大きなクマのお尻からしっぽの部分にかけての星の並びです。北斗七星の柄杓(ひしゃく)の水をくむコップの先の星から1つずつ「お・お・ぐ・ま・の・しっ・ぽ」と指をさしながら唱えてあげると、とてもわかりやすいです。

 実は「しっ」の星は、二重星で、よく見てみると肉眼でも小さな星がくっついている様子がわかります。

一説によると、アラビアではこの星で兵士の視力検査をしていたとか。


北斗七星の「お・お」の星の間隔を、2番目の「お」から1番目の「お」に向かう方向に長さを5倍のばしていくと、星が1つ見つかります。それが北極星 polarisです。北極星は3重連星で、翡翠( ひすい)の勾玉の色のように薄緑色に輝いています。

 北極星のあたりをよく見てみると、北斗七星を小さくしたような星の並びが見つかります。北斗七星が「おおぐま座」でしたので、北極星のところにある星座は「こぐま座」です。

 


どちらの星座の絵も普通のクマよりもしっぽが長い、変わった姿をしているのが特徴的です。


この『おおぐま座』と『こぐま座』にはクマに変えられた親子のギリシャ神話が残されています。

ギリシャ神話の星座は、羊飼いが夜に羊の番をしながら星空を見上げて、色々思いを馳せて生まれた物語が始まり。

おおぐま座とこぐま座は、美しい母親カリストとその息子アルカスがクマにされた姿とされています。
そしてこの親子の物語にも、ギリシャ神話に何度も登場する、浮気者のゼウスが出てきます。

 アルカディア王リカオンの娘でカリストという美しくて狩り好きなニンフ(森や泉の精)がいました。

ある日、ゼウスの愛をうけてカリストはアルカスという男の子を産んだのです。

 そのことがゼウスの妻・ヘラに知られてしまったから大変。

カリストはヘラによって呪いをかけられ、クマの姿に変えられてしまい、森の奥へと追いやられました。

 月日が流れ、アルカスは美しい母親とよく似た立派な狩人へと成長していました。ある日のこと、アルカスは森の奥で一匹の大きなクマと遭遇しました。

 「なんと見事なクマだろう……」アルカスは美しい獲物を見つけて心を弾ませましたが、そのクマこそが自分の母親・カリストだったのです。カリストも自分の子の成長した姿に、思わず喜び、抱きしめようとしました。しかし、アルカスは大きなクマが突然自分を襲ってきたと思い、自分の母親だとは知らず弓矢を構えたのです。その様子を見ていた大神ゼウスが、「子どもに母親を殺させるわけにはいかない」と哀れに思い、アルカスも子グマに変えて2人一緒に星座にしました。

 あまりにも慌てていたゼウスは、星座にするときにクマのしっぽを勢いよくふりまわして投げたとか。だから、しっぽが長くなってしまったといわれています。

 しかし、2人を星座にしたことが気に入らないヘラは、親子をほかの星座のように1日1回海の下に沈んでひと休みすることを許さず、永遠に北の空をめぐり続ける運命にしてしまいました。

 休みのない辛い運命と感じるか、それとも一緒になれた幸せな運命と感じるか……。

夜空を見上げて2人の姿に思いを馳せてみてください。

 

街中でおおぐま座の星を全部結ぶのは難しいと思うので、北斗七星を見つけたら、おおぐま座の姿を思い浮かべて、そのクマのしっぽで視力検査にも挑戦してみてください。




弱り目に祟り目とはこういう時のことを言うのでしょうか...


今日は29BY最後の醪の搾り。まさに、搾る直前に大きな音と共に建物が揺れ始め、10秒ほど揺れたでしょうか。
大きな地震でしたので、揺れが治まり、すぐさま、仕込み蔵、貯蔵蔵でそれぞれ搾りの準備をしていた社員2名の無事を確認し、今年搾った瓶詰め商品の様子を見に冷蔵庫へ急ぎました。
先日亡くなった義母が守ってくれたのか、冷蔵庫の中に高く積み上げてあった商品は無事でした。
その後、建物の外壁をみてまわったのですが、土蔵造りの蔵の壁は剥がれ落ちて、あちらこちらに亀裂が入ってしまいました。

自宅へ戻ってみると、神棚の榊入れが落ちて割れ、食器棚からも食器が飛び出し、タンスの引き出しが飛び出ていたり、古い建物ですから壁と柱の間に隙間ができてしまっていました。

「お酒なんか搾ってないで、喪に服してちょうだい!」という亡義母からのメッセージなのか、それとも、「この建物を修復するためにお酒造りを頑張りなさい!」と亡義父、亡義母、尾澤家のご先祖さまたちからのメッセージなのか。

本家の尾澤家がある芦沢地区の尾澤さんが、「ご不幸のあとで迷ったんだけど...明日のご先祖祭りで献上するお酒を」と会社にいらっしゃいました。明日は、尾澤家のご先祖祭り。目に見えないなにかに導かれているのかなぁと思った地震でした。


その時は突然にやってくるものですね。
4/28(土)お昼前に、義母の施設から尋常ではない電話口の向こうのの様子で、義母に何かがあったことがすぐにわかりました。
病院へ搬送されたものの、心拍の波形は徐々に小さくなり....
すぐに、東京にいる一人娘である義姉の携帯に電話をして、義母の耳にあて、最愛の娘の声を聞かせたまま息を引き取りました。
この場で、詳細なことは書き切れませんが、義母らしいというか、嫁であり養女でもある私にとっては、大きな喪失感と後悔で...
嫁いできて26年、いつもいつも私がいっぱいいっぱいになり手を放すと、病になったり大怪我を負ったりで、最期の最期も亡くなる5日前に施設から呼ばれ、相談員さん、看護婦さんから義母の状況を説明され、「またか...」と思い手を放してしまった5日後にこういうことになってしまい、私が死なせてしまったのだなと、後悔しても後悔しきれないことをしてしまいました。
なんで、大怪我とこの日、26年間それでも手を放さなかったのに放してしまったのだろうって思うと、なんて自分は弱い人間で自分勝手な人間なんだと自分に腹立たしく思うわけで。
廃業を決めていたこの蔵を、そのまま廃業し売却してコンビニエンスだけを経営して、義父、義母と社長と私の4人で生活していたら、義父も義母も二人とも、自宅でもうちょっと長生きできたんじゃないだろうかと思うのです。
私が酒造りを復活なんかしなければ...
すみません。今は、酒造りが楽しいとは思えなく、酒造りが辛いです。


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